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表 紙 >小さいヨット>出発までの日々その2
出発までの日々その2
出発までの日々その1
出発までの日々その2
レース模様
シーホッパー級成績
SR級成績
1999.11.1
YSAに計測証明書申請手数料を振込み、計測証明申請申込用紙を送付。
このような申請が必要なのが面倒なことでもあるが、全日本選手権なので仕方のないことだろう。
計測証明書がなければ、全日本開催当日の会場受付チェックで少し面倒なことになる可能性がある。
 
1999.11.2
本日、フェリーの予約をした。
往復割引というものがあり、14日以内に往復するのであれば船賃が1割引になるのですが、往復の割引ではなく帰りの船賃が1割引きになるだけ。
正確には「往復するなら片道は割引」
割引にならないよりはましであるが、どうせなら往復の船賃を割引してほしいと思う私である。
 
1999.11.11
西宮市内の「ホテル甲子園」に宿泊予約。
今回の全日本には、現時点で私と近藤君、大倉君の3人がエントリー。

当初、神戸に友人がいる近藤君が宿泊先探しの予定でしたが急な出張が入り、私が宿探しをすることとなった。
近藤君が神戸の友人から西宮市内の宿泊施設の一覧が掲載されているホームページのURLを入手しており、それを参考にしてハーバーに近い宿泊先を探す。

宿泊するのは21、22日の2日間ですが、レセプション・選手会等で夕食が不要なので、素泊まりで安いところを数件当たり「ホテル甲子園」に決定。
ホテルの住所を元に「マピオン」で場所を確認してみるが、発見できず。
現地に行けば何とかなるだろう。
 
1999.11.13

持ち主変更手続きを終えて「計測証明書」が送り返されてきた。
今まではA4を半分にした大きさの冊子になっていたが、新たに送り返されてきた証明書はA4の大きさで、枚数は今までの半分。
全体的にコピーされた書類のような感じの書類になった。

 
1999.11.14
全日本まであと一週間。
11月に入ったら洞爺湖で練習する予定でしたが、雑用が多くて練習には行けなかった。

9月下旬のレースから一ヶ月以上ヨットに乗っておらず、とにかく微風・軽風を祈るしかない。
先日送られてきたヤマハセーリング協会の会報にレース会場の海面状況が書かれていたが、うねりもなくて安定したコンディションでレースができる海面とのことで、少しだけ安心しました。
 
1999.11.19
午後から会社を休み、遠征準備開始。
今にも雪が降りそうな天気の中で、車にヨットを積んでいる風景は少し異常に感じる。

16時30分、外気温3度の中を小樽に向けて出発。途中の日勝峠はアイスバーンでノロノロ運転の車の列が長く続く。
夕張からみぞれまじりの雨。札幌に近づくにつれて車も多くなるが、信号待ちで止まった時に隣の車から異常な物を見る様な視線を感じる。

22時にフェリーターミナルに到着。大倉君がすでに来ており、乗船手続き中でした。
近藤君は会議が長引いて21時30分頃に会社を出たとのこと。
出港に間に合うのかと心配になりましたが、22時30分に港に到着。

2等船室で予約の私は、乗船後に2等寝台に変更手続き。
3人で軽く酒を飲みながらレースの健闘を誓い、23時30分に寝る。
 
1999.11.20
午前6時頃に目が覚めるが、少しだけ胃がムカつく。
船酔い・・・・じゃなくて、昨夜のウイスキーが少し残っているみたい。
昼近くまで惰眠をむさぽり、昼過ぎに風呂に入り、14時から体慣らしの卓球をする。

写真は卓球で汗を流す近藤(手前)
大倉(奥)両選手
20時30分に定刻どおりに敦賀港に着岸。気温9度。
高速を西宮に向けて走行。

22時30分西宮着。ヨットハーバーはすぐに見つかったが駐車場入口探しに少し苦労。
ハーバー内には大学ヨット部の合宿所があるが、高級アパートのような作りで驚いた。ハーバー内にシーホッパーの数が少なく、参加艇数は少ないのだろうか?

車の中を整理して23時30分頃に睡眠の体制に入るが気温が15度もあり寝袋に入ると暑く感じる。
 
1999.11.21
午前6時過ぎに佐賀県ヨット連盟の大型トラックが到着。その後、続々とヨットを屋根に積んだ車が来る。
9時から受付が開始され、リコールNo4をもらう。

参加艇数はノーマル70艇、スモール58艇。
昨日のYSA支部長・連絡員会議に参加の葛西北海道支部長・江野連絡員・鎌田連絡員(旧)から激励と海面の状況説明を受け、11時に開会式。

午前中は風が弱いが午後から吹くというのが西宮の通常パターンみたいで開会式終了時点で4〜5mの風。
これ以上は吹かないでほしいと思いつつ、13時過ぎに第一レース開始。
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