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車椅子生活(1)
治療記録まとめ
骨折しました
根室市内の病院へ搬送
釧路市内の病院に転院
個室に隔離
手術しました
車椅子生活(1)
車椅子生活(2)
松葉杖&退院
リハビリ(1)
リハビリ(2)
リハビリ(3)
リハビリ(4)
リハビリ(5)
リハビリ(6)
抜釘を目指して
抜釘手術(1)
抜釘手術(2)
抜釘後の経過
1月21日(手術後3日目)
 手術した右足の全容はこんな感じです。
金属を入れた部分等の傷口は小さく、縫った部分も信じられないくらいに小さい。
もう少し縦長の傷があるのかと思っていただけに、少し拍子抜けしてしまいます。
 
これが手術後のレントゲン写真です。
折れた脛骨は骨の中(髄腔)に、骨端から「髄内釘(ネイル)」と呼ばれるインプラントを入れて固定する「髄内釘固定」の手術が行われました。
参考資料:https://www.jnj.co.jp/jjmkk/general/dr/fracture/fracture_2.html

腓骨は折れたままで自然治癒を待つことになりました。
腓骨のみの骨折の場合は、ほとんどがギプスで固定して自然治癒にまかせることが多いみたいで、今回の私のような脛・腓骨骨折の場合は脛骨の骨折箇所の固定手術がしっかりとしていれば、腓骨の骨折箇所は自然治癒を待つのが一般的と主治医に説明されました。
腓骨骨折治療参考資料:http://www.chefneko.com/infobones.html
 
 
昨日から車椅子生活が開始されましたが、まだ自分で車椅子を操作して自由に行動することは許可されておらず、ベッドから移動するようなことがある時は看護師を呼んで車椅子に乗せてもらい、看護師が車椅子を押しての移動となります。
移動の邪魔になるのがパルスオキシメータです。
移動だけでなく食事の時も、こんな物を指に付けていなければならないのは苦痛以外の何物でもありません。
いったい何時までパルスオキシメータを付けていなければならないのでしょうか?
パルスオキシメータの数値は人と話をしている時は上昇することが判明しました。
特に美人の看護師さんと話をしている時は上昇率が高くなるのは何故??
 
ベットの上で寝たきりの生活から解放され、久々に自分の右足をまじまじと見てみたら、右足の内側は衝突事故の時に出来た内出血がすごく多いことを発見。
骨折の痛さで、内出血した箇所の痛みはまったく感じませんでした。
時間の経過と共にアザのようになっている内出血も消えていくと良いのですが。
 
午前11時過ぎ
 趣味で乗っているレーザーという一人乗りヨットの小樽フリートで、一緒に楽しんでいるK君が面会に来てくれました。
帯広・釧路方面に出張中らしいのですが「病室の隣のベッドの人のイビキがうるさくて熟睡できない」とFacebookに私が書いていたもので、耳栓とアイマスクがお見舞いの品の中にありました。
K君も長いこと入院生活を経験しているだけに、入院生活で重宝する物を把握していて、Boxティッシュとかお湯を注ぐだけでOKのコーヒー・ウーロン茶などを持ってきてくれました。
一番嬉しいお見舞い品が、写真ではNewsの文字が目立つ「レーザーニュース」でした。
レーザーという一人乗りヨットの協会誌ですが、昨年10月から年末にかけて開催された全国のレーザーレースの模様が掲載されています。
特に2016年リオ五輪の出場権を獲得したD選手の記事や津で開催された全日本選手権のレポート等が満載で、読んでいて楽しく、そして早く骨折を直して今年も頑張るぞというやる気をおこさせてくれる協会誌です。
ヨット仲間の気の利いた見舞いに感謝し、改めてよき友を持ったことに感謝です。




ご注意
診察内容・処置内容に関しては、個人の記憶の為、多少誤りがある場合があります。
経過に関しては個人差があり、かつ個人的感覚が多く含まれますので、予め御理解の上、お読みください。
1月22日(手術後4日目)
午前10時過ぎ
 手術後、車椅子は看護師の介助で利用していましたが、昨日の夕方にK看護師に押されて車椅子に乗っている時に「自分一人で車椅子の操作が出来ますよ」と車椅子の操作を披露したところ、狭い所での方向転換もソツなくこなすことが認められ、あわせてトイレでも手術した右足を床に付けることなく便器に座れることも認められて、見事に私専用の車椅子が貸与されることになりました。
 
右足首と膝の動きが悪いため、右足は水平にしているほうが楽であることと血行が良くなるので、車椅子は右足を乗せる部分がなるべく水平に出来るような工夫がされています。
自分専用の車椅子が貸与されたことで「一人でどこにでも行けるます」状態になりましたが、この車椅子が貸与されたと同時に看護師さんに「放射線科に胸部レントゲン撮影に行ってきて」と言われ、一人で車椅子に乗って最初に行ったのが放射線科でした。
その後、院内の色々なところを車椅子散歩する楽しみが出来て、あまり病室にいない日々が続きました。
病室を抜け出して車椅子で院内を徘徊していて、病室の自分のベッド上以外の院内での写真撮影は一切禁止であることが判明しました。
院内の様子を写真で紹介したいところですが、看護師さんの写真を含めて撮影禁止のため写真付きでの紹介は残念ながら不可能です。
 
午後0時10分
 今までベッドに水平な位置で食事をしていましたが、体の自由がきくことからベッドの端に腰かけてベッドに垂直な位置にテーブルを設置して窓の外を見ながら食事するスタイルに変更しました。
右足が床に触れることが出来る喜びは、牽引生活を経験しないと知ることが出来ない喜びかも知れません。
 
午後2時過ぎ
 広島のHさんから頂戴した花篭のチューリップが寿命となったので、花の散り始めたチューリップ3輪を撤去しました。
紫のバラとピンクのカーネーションはまだ元気です。
院内の空気が乾燥しているので、花には厳しい環境です。


 
午後3時半
 今日からリハビリが開始されました。
と言っても、外来のリハビリ患者でインフルエンザにかかっている人がいたみたいで、リハビリ担当者の中にインフルエンザをうつされた人がいるとのことでリハビリ室は今週いっぱい閉鎖中。
元気なリハビリ担当者が病室を巡回してリハビリが行われます。
10日以上も右足を動かしていないので、膝と足首の関節は驚くほどに動きが悪い。
それでも、私の体は年齢の割に柔らかいらしく同年代の人と比べると膝の動きは倍の勢いで回復しているらしい。
無理せずに徐々に体を動かしていこうと思います。


ご注意
診察内容・処置内容に関しては、個人の記憶の為、多少誤りがある場合があります。
経過に関しては個人差があり、かつ個人的感覚が多く含まれますので、予め御理解の上、お読みください。
手術しました 車椅子生活(2)
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