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個室に隔離
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抜釘を目指して
抜釘手術(1)
抜釘手術(2)
抜釘後の経過
1月14日(骨折後5日目)
正午過ぎ
 インフルエンザに感染しているために、病室が一般病室3007から個室3101に隔離されました。
午前9時頃から体に必要な水分や電解質を補うための補液点滴が行われていましたが、補液が終わって当分は点滴することも無いのに右手の甲には点滴用の針が残ったままです。


 
4人部屋から個室になって、隣のベッドの人のイビキに悩まされることも無く、窓の外の景色も独り占めできるのに、手術延期のショックとインフルエンザによる体温の上昇と頭や肺の痛さで気分は最悪です。
昨夜の夕食以降は何も飲まず食わずで空腹のはずなのに、まったく食欲もありません。
 
 
入院時に貰った「入院のしおり」の感染管理には、こんなことが書かれています。

入院予定日までにご一緒に生活されておられるご家族の中でインフルエンザなどに罹っている方がおりましたら、お手数をおかけしますが入院前に診療科までご連絡くださいますようお願いします。

根室から転院してきたその日に、私は「「風邪気味なんですが、転院前に入院していた根室はインフルエンザが蔓延していたので、私もインフルエンザかも知れませんよ」と言っていたはず。
「病院の感染管理に何か手落ちがあったとは思いませんか??」
そんなことを看護係長に
聞いてはみますが、インフルエンザには潜伏期間があるためにすぐに発症することが無く、手術前に発症したことは不幸中の幸いなのかも知れません。
 
18時過ぎ
 インフルエンザで隔離されているのに、夕食のご飯は何時もと変わらず。
せめて「おかゆ」に変更するとかしてくれたらいいのに・・・
熱は上がるまで上がったらあとは下がるだけ、と看護師さんは言って解熱のための措置は一切せず。
後で知ったことですが、インフルエンザの場合に解熱剤を使うのはインフルエンザ脳炎・脳症を重症化させる場合があって大変危険だそうです。
http://www.yoshida-cl.com/6-byo/huru-7-f.html
インフルエンザ回復のために何が変わったか?
毎食後に服用する薬の中に抗生物質のカプセルが1個増えただけです。
38度6分の熱で頭が痛く、肺も痛くて19時過ぎには意識が薄れていく感じで眠りにつきました。。
1月15日(骨折後6日目)
午前4時過ぎ
 14日の確か21時過ぎに看護師さんが左脇腹の部分に保冷剤をいれていったことをかすかに覚えていますが、そのおかげでパジャマの左脇腹部分が濡れて気持ち悪いので看護師さんを呼んでパジャマの上を交換してもらいました。
その時点で熱は37度台前半まで下がっていました。
看護師さんに聞いたら、最高で38度9分まで熱が出たらしい。
それが何時頃のことなのか、看護師さんが体温を測定していったことすら記憶にありません。
14日19時過ぎから15日4時頃まで私は死んだように寝ていたみたいです。

たった一錠の抗生物質を服用しただけで熱が下がるという自分の体の働きに少し驚いた朝でした。
 
午前10時過ぎ
 看護師さんが「お花が届いています」と言って、ピンクの可愛い花篭を持って個室3101に来ました。
いったい誰からのお見舞いだろう??
私の知り合い・友人に、そんなお見舞いをくれる気の利いた人が思い当たらない。
「誰からですか?」と聞いたら、広島のHさんと言われた。
一瞬わが耳を疑って、花キューピットの納品書を確認してみたら、やはりHさんからだった。


包装されていた袋を15日昼勤務の看護師さんに外してもらい、窓辺に飾ってもらう。
「メッセージカードに何て書いてありますか?読んで聞かせてください」と言ったら、メッセージカードを見て笑いながら私に手渡してくれました。

「ヨットシーズン迄には時間がタップリ有りますので、ゆっくりと美人看護師さんに囲まれて入院生活を楽しんで下さいネ! Hより」

確か12日にkonちゃんがFacebookに私が骨折したことを掲載し、ヨット友達には私の骨折のことが知れ渡っていました。
その後、私もFacebookに色々と書き込みし、14日が手術日であることも掲載しました。
14日の手術が延期になったことをFacebookに書き込みしようと思っていた矢先にHさんから届けられた花篭。
手術延期ということで、また当分はベッドに寝たきりの生活が続くのかと落ち込んでいた気持ちが、このピンクの花篭でどれだけ癒されたことでしょう。
2002年から全日本レーザーマスターズレースに遠征していますが、心優しいお友達が全国各地に出来て、レーザーに乗っていて本当に良かったと改めて感じています。
Hさん、どうも有難うございます。


ご注意
診察内容・処置内容に関しては、個人の記憶の為、多少誤りがある場合があります。
経過に関しては個人差があり、かつ個人的感覚が多く含まれますので、予め御理解の上、お読みください。
1月16日(骨折後7日目)
午前8時30分
 今日の日勤者で私を担当するK看護師が「今日、夕方まで担当しますKです」と病室にやって来ました。
K看護師とは初対面ですが、顔を見た瞬間に「この看護師とはフィーリングが合いそうだ」と直感した私。
何時もなら「よろしくねー」と答えるのですが、にじいろジーンという番組を見ていた私は「べっきーはこの番組を降板しないのかなー?」と唐突に声をかけてみた。
K看護師とはフィーリングが合いそうだという直感は当たっていたみたいで、K看護師も「げすの極みですか?」と返してきた。
しばし「げすの極みとは上手いことグループ名をつけたものだ」等々、芸能ネタでの会話を楽しんだ。
入院生活において、初めて体験するホンワカとした一時だった。
何故K看護師の顔を見た瞬間にフィーリングが合いそうと感じたのか不思議な気もします。
その後、退院するまで何故かK看護師はポイントとなる出来事がある時に私の担当になることが多く、一番お世話になった看護師さんです。
 
午前9時
 私が感染源なのかどうか知りませんが、釧路保健所管内にもインフルエンザ警報が今日出され、院内感染防止のために面会制限が今日から開始となりました。



面会制限になるなんて知らないので「16日の土曜日にでもお見舞いに来てくれたら嬉しい」と私は数日前から釧路市内在住の友人達に言っていました。
心優しい友人達は、お見舞いに来てくれます。。

午後2時過ぎに、私がヨットに乗り始めた時からの友人であるKさんがお見舞いに来てくれて、看護師に「短時間でお見舞いを済ませるように」と言われたらしくて、20分くらい話をしただけで帰られました。申し訳ない。

午後16時過ぎにKonちゃんから携帯に「これから頼まれた物を持って行くから」と電話が入りました。
「無理して今日来なくてもいいから、明日にしたら?」と言ったら「明日はゆっくりとしたいから今日行きます」とのこと。
18時半過ぎにKonちゃんはマスクにプラステック手袋という完全防備で病室にやってきました。
看護師詰所で「渡してほしいものがあるなら渡しておきますので、病室に入らないで帰ってほしい」と看護師に言われたらしいのですが、どうしても会って話したいことがあると強行突破したみたいです。

Konちゃんには11日に「saki&sayokoのTシャツ2枚、代金払うので持ってきて」とお願いしていましたが、約束通り持ってきました。
49erFXというヨットでのリオ五輪出場を目指して頑張っているsaki&sayokoに負けないで、Tシャツ着てリハビリ頑張りますということで無理してKonちゃんにお願いしていたものでした。
19時の面会時間を過ぎた頃に帰って行ったKonちゃんですが、帰り道で白黒模様のネズミとりに捕まって罰金とられたらしいです。
本当に申し訳ない。
何か悪い予感がしたので「今日来なくてもいいから・・」と言ったんだけどねー
1月17日(骨折後8日目)
 熱のほうはすっかり平熱に戻り、インフルエンザは撃退できたみたいで19日に手術予定と告げられました。
骨折部分はまだ熱を持っているので保冷剤で冷やしていますが、たまに骨折場所をチェックすると、右足は膝から下が腫れているのが左足と比べるまでもなく判ります。
直達牽引のおかげで痛みはあまり感じられず、起き上がった時の腰の移動修正にも慣れてきました。


床上排泄だけは慣れるということが無く、小すらも出そうで出ないことがありましたが、今は小は1日に4度くらい、大が2日に一度というパターンです。
飲食は出された物は全て食べるという生活で、水分も普段よりは若干少なめですが飲んでいます。
大は出そうと思えば毎日出せますが、出そうという思いよりも羞恥心が勝っていて、思い通りにはなりません。
釧路市内の病院に転院 手術しました
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